時雨の記;女性初芥川受賞者、中里恒子の懐かしの傑作

昭和52年文芸春秋刊、中里恒子の作品「時雨の記」は男女の、それも完全な大人同士の恋愛小説である。背景や人物の上品で清楚な描き方を、じっくり読み進めていくと、明治から昭和初期の、NHK朝ドラ「花子とアン」の時代背景や人を思い浮かべてしまう。まさに、平穏高雅な生活の中に営まれる、死を賭けた男と女の哀歓を描ききっている。

これが最後の火であろう、多江自身、そういう思いで、壬生が死んでいったときを絶頂として、その火が、身うちに燃えつづけるような気がするのでした。埋み火のような仄かな温かみが、多江の寂寥のなかで、赤くともっておりました。
業火でもない、聖火でもない、やっぱりそれは、男と女の情念の昇華した火だと、多江は、火のともった躰を胸を、人生の終りに出会った縁の、くらべるよすがもないことに思いは尽き果てました。

水引草も、壬生が好んだものです。それさえも、細君は気づかずに、椅子を眺めただけでした。
「明日ゆきますよ、今日会って、明日会って、どこがわるい・・・・・僕だってうぬぼれているんだ、迷惑はかけない、そのくらい心得ている、」
壬生は、ことあるごとにそう言いました。そして、多江の手もとで息をひきとったことまで、迷惑ではなかったと、信じこんで逝ってしまったようです。

多江は、壬生の、そののめりかたに、はらはらしていましたが、今まで見えなかった男の正体を、壬生によってはっきり叩き込まれました。それが、壬生の残していった唯一の切ないものでした。移り香、そのような優しいものではありませぬ。命の間隙を縫う仕事だったとしか思えません。生きるという渺渺としたものが、ことごとく含まれていました。

壬生に助けられて、多江も生きることに没入出来るようになったのです、人生は愛ですが、愛だけが生きることではない、もっと大きい。自分の信念というものに迷うことがなくなった、気取りがなくなったと、思い知りました。

ひとりでいてもひとりではない幻影の大きさは、多江の今までにない深い渦のようなものでした。若い時に出会った時は、なんの印象もなかったひとに、人生の終りでめぐりあった異常さ、いきなり渦にひきまきこまれて、とうとうと流れ合ってしまったあとの空絶・・・・・

多江は、夜の庭にたたずんで、空を仰ぎ見ました。壬生がいる。そんな気がしてなりませんでした。

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