疑惑の舛添都知事、亡き姉のことばとは?

東大法学部で鳩山邦夫氏と主席を争った天才政治学者でありながら、ドケチ・タカリ、そして政治資金流用疑惑という舛添要一氏の人間性は、どのように形成されてきたのか?

5年前に肝臓がんで亡くなった11歳年長の長姉は、娘Aさん(舛添氏の姪)にこう言い残したそうだ。「あんなにウソばかりついて他人を傷付けて、いつか要一は手痛いしっぺ返しを食らうよ。」Aさんは今こう語る。「母の予言通りになりました。ずっと詐欺のようなことをしてきたのですから、同情の余地がありません。」

八幡市(現在の北九州市)で生まれ育った舛添氏は、中学2年で父・弥次郎さんを亡くした。舛添家は教員資格を持つ長姉と、会社員であるその夫が大黒柱となり、成績優秀な舛添氏を東大進学で送り出した長姉夫妻は我が子のように可愛がる。国際政治学者としてTVの討論番組に出演するようになると、ビデオ録画をして応援していた。

母親のユキノさんの面倒も長姉夫妻が長年見てきた。ところが舛添氏は、「母に襁褓をあてるとき-介護 闘いの日々」を出版してその中で長姉夫妻を罵った。その後も介護体験を自慢して、名を売り、第一次安倍政権では厚生労働大臣の座を射止める。週刊文春による取材で、長姉夫妻は重い口を開いてこう言った。「要一が本で書いている内容は、すべて反対のことだと理解して頂きたい。」

長年生活保護を受給していた4番目の姉を扶養するよう北九州市が要請するも断り、売れっ子の国際政治学者としてバブルを謳歌。講演だけで1日300万円、多い年で年間3億円を稼いだ。北海道白老町の別荘で女優たちと温泉や乗馬を楽しみ、都内にもマンションを複数所有。世田谷の自宅は3億円で購入したなどとインタビューに答えていた。

一方、実の姉に救いの手を差し伸べようとせず、その理由について質問すると、「ダメです。不愉快です。」と意味不明の答えが返ってくる。片山さつき参院議員や、フランス人女性との結婚。更に愛人Xさんに男児を産ませて、後に認知。別の女性Yさんに女児を産ませた後、現在の妻と結婚した。Yさんは結婚不履行の理由で訴訟を起こした。Xさんも、出産した男児が重度の障害で、大変な苦労を抱えている。

更に、県立八幡高校時代の親友Fさんの妹Zさんに結婚をほのめかし、土建業のF家から多額の金を引っ張った。それでもFさんは舛添氏を支援していたが、6年前亡くなり、また妹のZさんも、現在末期がんの床に伏せる。

長姉にも、同じ年で亡くなった義兄にも、Fさんにも、舛添氏からは何のお悔やみもないという。Zさんは取材した記者にこう言った。「あの人は、お金がない人とはお付き合いしません。私はもう関わりたくありません。」

週刊文春報道を受けた記者会見のTV中継を見て、メールが来たという。「TV見ました。すっきりしました。私はガンの末期であと少ししか生きませんが、よくぞやってくれました。」

これまで数々の疑惑を報じられ、運よく切り抜けてきた舛添氏に対し、今回は外堀をしっかり埋めて対応してほしいところだ。

記事) 「いつか要一は・・・」疑惑だらけの舛添都知事の亡き姉の予言 より

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